形・技・特徴

「形と技。基本形と身熟四十八手」

「表」「中極」「落」と呼ばれる形が七変化し、素振り二十一手と称される。
そこに「切」の七手を加えたものを二十八手と称する場合もある。
わずか七本の形であるが、昔は「表」だけを習い終わるのにも数年を要したという。
実際形を取ってみればわかるが、表ひとつ取ってみても数ヶ月やそこらで終わるはずの
ない難しさがある。
稽古者の中には形を教わって、動くのに慣れただけで「習った」と勘違いする者もいるが、
それは大きな間違いである。
当道場でもいい気になって形を振っていると「手足ばり動かしてるな」と戒められる。
基本形二十八手がある程度上達すると、次に「居取」「取放」「小具足」と呼ばれるそれぞれ
七手ずつの技を教授される。
前述の基本形を加えたそれらを総称して身熟(みごなし)四十八手と呼ぶ。
身熟四十八手が終わると、二十一手の師範形の習得が許され、その後百手以上に及ぶ奥義の伝授が行われる。


「特徴」

流儀の特徴としては当身と呼ばれる打撃を専らとしている。
柳生心眼流の伝系によっては打撃をメインとして投げと極めを組み合わせて制敵するものも
あるが、中には投げ等は一切用いずに一発の打撃のみで敵を昏倒させるという豪放極まりない
伝系も些少ながら確認されている。その当身の口伝、稽古法には現代武道を多く知る自分たちに
とっては思わず唸ってしまう物が数多い。いずれにせよ一般的に知られているほとんどの心眼流は
前者の方であろう。斎田伝は投げ技も極め技も存在するがどちらかと言えば当身が多い。
当身が特徴と言えば特徴なのかもしれないが、柳生心眼流各派によって当身の解釈が異なり、
そこは大きな違いとなって戦闘理論に現れる。当身とはなにか? なにをもって当身とするか?
当身、それに付随する当身の口伝には柳生心眼流を紐解く上で重要な鍵が隠されている。
研究していると前者と後者の埋まっていない穴に気付く。それを解くヒントは当身であった
ような気がする。古老たちは言う。「心眼流さは当身でがす」・・・まったくその通りである。

現在主に宗家を名乗っている星家(心眼流で宗家を名乗る所は他にもいくつかあるが)に伝わる
柳生心眼流でも同様に「二十一ケ条」と呼ばれる型が存在する。
それらと斎田伝の二十一か条は見た目の趣全く異にする。これも特徴と言えるだろう。
しかし、やっていること、形が要求してくる事は双方さほど変わりはない。
形は奥に到達する為の地図。地図である以上、一見違うようでも目的地は同じでないと困るのは
修行している人間。自分との勝負だ。



入門について

古式に則り、入門証に血判を押していただきます。
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